2018年5月8日火曜日

旅の準備で思うこと

旅の準備がようやく終盤を迎えた。

あれもいる、これもいるといって次から次へと必要なものが増えてくる。そして次にあれもいるかな、やっぱり心細いな一応持っていっておこう、と必須ではないが、念のためというものが増え始める。


ただ旅の準備には本当にお金を使う。


今までのお金の使い方と根本的に異なってくるため、買い物をした後グッと疲れが出る。
今までのお金の使い方は、楽しいことをしたり、美味しいものを食べたり、大切な人にプレゼントしたりと、お金の即効性があった。


また罠の道具を買ったり、投網の道具を買ったり、ガソリン入れたりといったお金の使い方は、その先が確実までとはいかないが、ある程度「なにか」に変わることを想像できるようになっている。そのため数万の出費もそこまでお金を使う気疲れなんて感じたことが無かった。



しかし今回の旅の道具や、海外旅行保険などのお金の使い方は即効性もなく、これから旅に出るときに必要であろう道具であるため、これらの道具が、他の「なにか」に変わることはない。


その道具に今まで使ったこともないようなお金を支払うのである。例えば今まで雨の時に使用していたレインコートは3000円であった。それに防水スプレーを吹きかけ吹きかけ5年使用していた。


しかし今回の旅では、大雨の中、自転車で走らなければならないことを考えると、良いレインコートを持っておく必要があると思う。今回は18144円のレインコートを購入した。

今までの6倍の値段である。


このような物品が自転車用品も含め10点くらい重なれば、やはり心が疲れてくる。
このまま資金が底つくのではないかというような錯覚に陥ってくる。もっと貯めておくべきではなかったのか、というような弱音を吐きたくもなってしまう。


こんな風に買い物した後は気疲れが出てしまうのだが、結局旅の最中に助かるのは自分である。そして「良い物」はやっぱり長持ちする。今まで私は結構な安物買いの銭失いを続けてきた。たまにそのことに気づくこともあり、やっぱり良いものを買わないとな。と思うのだが、いざ商品の前になると、少し安いものでいいか、と妥協してしまう。



今回のレインコートを買う時には、隣に10000円弱のレインコートがあり、そちらに飛びつきそうになっていた。友人がセーブの声を発してくれたため思いとどまったが、1人だったならきっと10000円弱のレインコートを手にしていたと思う。ゴアテックスの機能があるかないかの違いだった。自転車で旅するときに着るなら間違いなくゴアテックス機能付きを選ぶのが普通であろう。それは頭の中では分かっているけど…という感じでいつも安いものを手に取ってきた。


これからは着る物であったり、持ち物といった、それ自身が「なにか」に変わることはないものでも、高くても「良い物」を買えるような買い物をしていきたい。








2018年5月7日月曜日

旅靴

自転車の旅ではKEENのシューズを使う。

オーストラリアを自転車で旅していた時に登山用の靴を履き生活していて大変な目にあった。

正確には私の周りの人間が大変な目にあったといった方が正しい。

自転車に乗っていると靴の中がすんごい蒸れる。

靴下は変えることができるが靴は頻繁に洗うことは出来ない。

その蒸れた靴を一日中履きっぱなし、次の日も次の日も蒸れる。
それが繰り返されると、どうしても臭いがきつくなってくる。

ただでさえ私の足の匂いは臭いそうだ。

以前高知県でスケートボードをしていたのだがその帰りに友達の車の中で靴を脱いでくつろいでいた。

季節は秋の終わりころだっただろうか、友達は車の窓を全開で車を走らす。

スケボーの後だったから汗をかいて、それが乾きとっても寒かったので、「なんで窓開けてるん?閉めてくれへん」と言うとその友達は「お前の足が臭いねん、空気が貯まると息もでけへんわ。窓閉める前にまず靴履いてから言え」と優しく諭され、笑いながら傷ついたこともある。

自転車旅の時には足関連の二つのエピソードがある。

まず一つ目だがメルボルンでのこと。10日間くらいまともにシャワーも浴びずにメルボルンというオーストラリアの南に位置する大きな街についた。

そこで一週間くらい滞在予定だったため、シェアハウスを探して日本人シェアハウスのところに転がり込んだ。

到着すると、そこの住人が集まって来てワイワイと今までのチャリ旅のこととか北のオーストラリアの情報などを交換していた。そこまでは良かったのだが、ある一人が本当に言いにくそうに、私に「足洗って来てくれない」と言った。私は自分の足の臭いに完全に慣れていたため、全く気づくことができなかった。

それを皮切りに、皆「私も思ってた。」や「なんの匂いなんだろうと思ってた」と言う意見が聞けて、これは本当に気をつけないといけないことだな。と自分に言い聞かせた。


もう一つのエピソードはメルボルンから1,000キロほど西に行った町アデレードでのこと。

その日はサイクリストの人の家に滞在させてもらったいた。その人の家で3日間滞在させてもらい、出発の日の朝にビニールに入った「何か」をもらった。

私はてっきりお昼ご飯だと思った。

昼頃まで自転車を走らせ昼メシ時に、朝いただいたビニールの袋を開けるとそこには三足の靴下が入っていた。

この後自転車旅をする時に靴を履いたことはない。


KEENと出会ってからはいっつもそればかり履くようになった。足先はゴムで覆われているし、足の甲も守られている。靴に近いサンダルなのだ。

ただこの靴に近いサンダルを持ってでも、たまに石鹸で洗うようにしている。

この靴にの側面にwater proofとの記載があるのだが、この意味が未だに分からない。

今回の旅でKEENは二足目になる。
5年前に購入した靴は定年劣化と陽当たりによる色落ち、靴底が剥がれてきてはボンドで貼り合わせを繰り返してきた。

まだ日常では履くことはできるが、旅に持っていくには不安が残る。

そして昨日二足目を購入。



5年前とほぼ同じモデル。

試しに履いてみると、驚いた。

足にピッタリ吸い付いてくる。今まで靴なんて履けたらいいと思っていたが、こんなに機能性が高いサンダルがあるのかと思い直した。


2018年5月4日金曜日

チャリ目線の京都・高知の道路事情


京都と高知では自転車目線での道路事情が大きく異なる。


私は高知で過ごした直近の7年間のうち自転車に頻繁に乗っていた年数は1年である。



京都では自転車に乗れるようになったのが6歳くらいだったと思うが、それを踏まえると京都を離れる18歳までの12年間ほとんど毎日のように自転車にまたがっていたような気がする。


まず高知では市内以外は自転車文化がほぼ存在しない。各家の人数分の車を持つというのが、常識とされているくらい自動車文化である。



そのため車屋さんはあちこちに見かける。道路沿いを走っていると、古い車から、新しい車まで千差万別の車が道路脇でこちらを眺めている。その対比として自転車屋を見つけるのも苦労する。


以前、高知~京都まで自転車で帰省しようとしたときに自転車の空気圧があまりなく、走っているうちに自転車屋があるだろうからそこで入れてもらおうと思っていたが、行けども行けども自転車屋が見当たらない。



痺れを切らして歩いている方に尋ねると旧国道の方に2件あるよ。と教えてもらいそちらに向かった。


しかし、こちらに行けども自転車屋が見当たらない。そこでまた歩いている方に尋ねると、2件ともお店を閉めたよ。と聞かされた。



そこは安芸市と言ってそこそこの街であると思っている場所にもかかわらずだ。
市なので中学生もいれば高校生もいる。

その子たちの自転車がパンクや不具合を起こしたら、どうするのだろうか。皆がパンク修理できるのだろうか。




結局自転車屋は見つからず、自動車屋で空気を入れてもらった。

高知県は土地が広いため移動するのはエンジン付きでないと苦労する。

その土地の広さが道路の広さにも影響している気がする。

高知県はかなりゆったりとした道路幅になっており自転車・バイクを走るのにもそんなにストレスなく走ることができる。市内は別だけど。



さて京都だが、自転車屋は石を投げればぶつかると言うほどではないが砂利を投げれば当たるくらいの自転車屋はあると思う。


市内にある一本道で注意して自転車屋を探して見ていると3キロ以内に5,6件の自転車屋を発見することが出来た。


どのお店も町の自転車屋という感じで、店こそは大きくないが、古くからお店をされているような、年季の入った店構えが特徴的だった。

外の歩行者道路に当たり前のように自転車が立ち並ぶ光景も少し面白い。



さらに京都府は平成30年の4月1日から自転車保険が義務化されたほどである。


あと京都にはレンタル自転車が多くある。私が見た多くは海外旅行者。特に西洋人が借りている場合が多そう。最近1週間くらい毎日のように京都駅と四条の方に出向いているのだが、そこで多く目にしたのだ。




京都市内は、自転車マナーに関してはそれほどよくないように感じた。細い道でも信号があるため、車が来てなければ行くというスタイルが根付いているような気もする。


実際私も高校時代、自転車通学をしていたがあまり信号を守っていた記憶がない。


京都は自転車文化だとは思うが、京都市内の特に四条には自転車で行くの避けた方がいい。

このゴールデンウェーク中にも3日間足を運んだが自転車置き場を見つけるのも苦労する。駐輪場はあることはあるのだが、行き慣れていないと見つけるのに途方に暮れる。

だいたい道が細く奥まっているところに駐輪場があるような気がする。



自転車が置けそうだなと思う場所はだいたい、駐輪禁止の立て看板がある。しかも歩道は人が多いため車道を走らなくてはいけない。



普段なら車道の方を選んで走るのだが、四条付近は、車は多いし、車の運転マナーも良いとは言えない。特にタクシー運転手はひどい人がちらほらいる。自転車に慣れているのだろう、かなり自転車のすれすれを走ってくる。


それに加えバスも多い。バスは少し走ると左によってバス停に止まる。

私がバスの後ろにいると、バスの右から抜くのだが、バスの出発のタイミングとぶつかると少し厄介だ。また後方から車が来ていると危険なため、バスの後ろでバスが発車するのを待つのが得策といえるだろう。


しかし四条のバス停はちょっと走るとすぐに止まるから、その度何度も止まり、発射するまで待つのが面倒になってくる。



こういった理由で四条に自転車で行くのは出来るだけ控えようと思う。
ただ家から四条までの道のりに、鴨川沿いを走る道があるのだけどその道は好きなんだよなぁ。

あと高知に言って驚いたことだが、高知の中学生や高校生の多くはシクロクロスと言ってロードバイクとマウンテンバイクの真ん中のような自転車によく乗っているのを見かけた。高知でママチャリに乗っている若者を見たことが無いと言っても過言ではないくらい、高知にはシクロクロスの文化が根付いているような気がする。



もしママチャリに乗っているような若者がいればきっと県外から来た大学生だろう。


京都の若者の多くはママチャリであった。高校性のときに、ロードバイクやシクロクロスで通っていた人は見たことが無い。ただ全黄色のマウンテンバイクで通っていた、一つ上の先輩がいたが、その人の名前さえ知らなかったが、いまだにその人のマウンテンバイク記憶があるくらい、珍しいことだった。


2018年5月3日木曜日

海外旅行保険のこと


今日、海外旅行保険に加入してきた。


保険は無事に戻ってくると、もったいなかったような気がする。しかし入っていないと、もしものことがあれば…ということでいつも外国に行くときや、車両保険などは少し厚めの契約で加入してきた。



去年は車屋さんで車庫から車をバックさせて出ようとしたとき、シャッターにぶつけてしまった。


これで私も初の保険適用か、と思いながら保険会社に連絡すると、保険を適用すると来年からの保険代が無事故の時と比べると一気に30,000万ほど上がってしまうという。


それなら保険使わない方がいいのかなと思い、シャッター会社に連絡して見積もりを取ってもらうと、28,000円であった。


そして結局、保険は適用せず、自腹で修理をしてもらった。何のための保険なんだろうという思いが無かった訳ではないが、自分の不注意さに腹が立つ方が強かったかな。


まあ今回の海外旅行保険は保険を適用したからと言って次回の値段が上がるわけではないため、存分に使ったらいいだろう。という意見を発言すると「保険は使わないことが一番いいのだ」と父から一喝される。



今回は「東京海上日動」で一年間の海外旅行保険に加入した。


決め手は一番安かったから。かといって保証が薄いと言うわけではないようである。
海外旅行保険の一年間以上を行っている保険会社は「東京海上日動」「損保ジャパン興亜」「AIG」であった。その中から安いのを選んだだけである。


他の人のブログを見ていると、自分で保証金額などを設定できるということが書いているブログもあったが、2,018年現在、窓口で加入のときは全ての保証金額が設定されているパックを選ぶしかないようである。ネットでの契約は分からない。


保険会社が同じでも保険代理店や会社の担当者によって言っていることが異なるのがあり困った。二年契約を交わして一年で帰国してた場合はその残りの保険期間の金額は戻ってくるのかという質問には完全に二分化された。車の契約なら一か月単位で返金されるからこの保険もそうなのかなと思っていたが、かなり強めにNOと言われたため、結局一年で契約し、もう一年という場合は国内にいる家族にお願いし延長をしてもらうという方法をとった。国外にいては延長出来ない仕組みである。



一年間の保険料23,0050円を支払った。


友達が言っていたが2015年以降急激に値段が高騰したらしい。

確かに私が2012年にオーストラリアにいた1年間の保険料は130,000くらいだったような気がする。

旅に出発する前に旅の必需品を買い、キャッシュカードの中の現金が少しづつ減ってくるのに、焦燥感と寂しさが少し入り混じる。

もっと貯めておけばよかったと、きっといくらあっても思うんじゃないかなと自分に言い聞かせ今夜も家族のいる屋根の下で眠る。

2018年5月2日水曜日

京の銭湯


京都にある銭湯に先日、父と一緒に行った。

近所の銭湯を調べると二件なら歩いていける距離にあった。二つのうち一つはその日定休日だったため、もう一つの銭湯に歩いて向かった。

近所の道は狭いのによく車が通るのでいちいち車のエンジン音がすると、後ろを振り返り確認するのが億劫だった。

裏道を何本か通りながら目的地の銭湯に到着した。

門構えは昭和感が漂いつつも西洋のレトロ感があった。暖簾が出ており営業しているのだと一目でわかるシステムは日本の文化なのだろう。

表には大塚製薬の自動販売機が置かれており、風呂上がりのマッチは最高だろうなと思いながら暖簾をくぐり、引き戸を開けた。「いらっしゃい」と、か細い声が左から聞こえた。今まで行った銭湯は右が男湯で左が女湯のところが多かった。

番台が男湯と女湯の真ん中にあり番台さんは1人で両方の管理が出来るのである。

声をかけてくれたのは、80歳は有に超え90歳になろうかというおばあちゃんが出迎えてくれた。

二人で860円であったが、私は父と一緒だったので財布は持っていなかった。父の財布には大きいお札の5000円しかなかった。父がそのお札を出すと、さっとおばあちゃんが計算し、4140円が返ってきた。

銭湯は備え付けのシャンプーや石鹸などは置かれていない。自分で家から持ってくるか、その場で購入するかだ。昔はよく銭湯に行っていた父はそのことは心得ており、私の分と自分の分のシャンプーを持ってきてくれていた。

着替え場は学校の教室一つ分くらいで、お馴染みの肩叩き機や重そうな扇風機、体重計などがあり、女湯と男湯がカーテン1枚で仕切られている場所もあった。

ロッカーは木枠で作られ、皆が触って角が取れ、艶やかな色をしたロッカーに荷物を預け、お風呂に入った。ドアを開けた瞬間、あの小学生のプールのときに匂った塩素の匂いがプンとした。

お風呂も教室一つ分くらいの広さがあり、その3分の1がお風呂で残りの3分の2が洗い場とゆったりとした作りになっていた。洗面台はシャワーが一つあり、取り外しは出来なく固定されている。


鏡が付いておりその下部には地元の酒屋や理髪店、タクシー会社などの宣伝広告が貼られている。頭からシャワーを浴び少しすると水量が一気に強くなった。


周りを見ると二人の先客が同時にシャワーを止めたのだ。その水量が一気に私のシャワーに集中したのだろう。このような何気ない質素感が最近の温泉施設にはなく、ほっこりした気分になる。


シャワーには温度調節はなく、温かくなったり、また少し冷たくなったりと一定はしなかった。体を洗い終わりお湯につかった。

お湯の種類は全部で6種類あり充実した数だ。ここは少し変わった種類の湯がありそれは人間洗濯機と呼ばれる湯であった。どのようなものかというとドラム缶の二回りくらいの大きさで丸い湯になっている。そこの湯が誰もいなくても回っているのである。


湯は6種類とも温度も異なりアトラクションが備え付けられており、自分の好きな湯を見つけることが出来た。

1時間くらい色々な湯につかっているとおじいちゃんと3歳くらいの女の子が入ってきた。女の子は走り回り、先にお湯に入っていたお客さんに笑顔を振りまきスケートリングに上がる女性を眺めているようだった。

その走り回る女の子の腕をおじいちゃんが捕まえ、体を洗ってあげていた。体を洗い終わると、女の子はお風呂用のおもちゃを持ってお風呂場に入り遊ぶ。私たちは十分に満足し風呂を出た。

体を拭いていると少し恰幅のいいおっちゃんが入ってきて、サッと服を脱いで体重計に乗り、「よしっあと3キロ」と言ってお湯に入りに行った。

私たちはお湯で温まった体を冷ましながら服をゆっくりと着替えていると、ふと目に留まった。先ほどのおっちゃんの荷物がロッカーに終われずに脱衣所のフロアに置きっぱなしであった。

おっちゃんがお湯に入って5分くらいたっていただろうか、そのことに全く気付かないほど、ゆったりとした空間である。

実際お風呂からあがり私が父にあの脱衣所の荷物見た?と聞いたが、父は何のこと、と言う風で気づいていなかったのだ。そして私は冷蔵庫の中からポカリスエットを出し、ちゃぶ台に120円を出し椅子に座り休憩していると、おじいちゃんと女の子が出てきた。

おじいちゃんが女湯の方に大きな声で「あがったよ~」と呼びかけると女湯からお母さんらしい声で女の子に向かって「こっちにおいでー」と言った。女の子は男湯と女湯が繫がれているカーテンをめくり女湯の方へ姿を消していった。銭湯は体の汗を流し疲れを癒しリラックスできる私のお気に入りの場所であり、何気ない日本の日常が垣間見れるのである。

2018年4月28日土曜日

高知ー京都 2日目


目を覚ましたのは深夜12時5分過ぎ。すでに和歌山港に到着していた。

周りの乗客はほとんどおらず、少し寝すぎたなと言うような乗客が数名眠そうに一階へ降りていく。左足が治っていたらいいのになと薄い期待をして自転車にまたがりペダルをこぐと、激痛が走った。もうこぐこともできなかった。

歩くことはそんなに痛みが無いため、自転車を押し一夜眠れに付けそうな場所を探す。あては有った。乗船の待合室だ。だいたいフェリーの待合室は24時間空いていることが多い。尚且つ南海フェリーは和歌山発の便が夜中2時55分発がある。それに乗り込む人は乗合室で待たないといけないから、おそらく夜中中も開いているだろうと想像していた。


その待合室を見つけ、二階が待合室になっていたため確認に行くと、ベンチが四つあり、ゆっくり眠りに付けそうな場所でホッとした。貴重品を持って上がり寝袋を出し、湿布を変え本格的な眠りについた。

夜中2時半ころに誰かの声で目覚めた。スーツにネクタイの人はどうやら船の関係者のように見えた。追い出されるのかなと気分は落ち込んだが、その人は「次の便に乗るの?」と言った。その人は私が次の2時55分発の待ち人かと心配してくれ声をかけてくれたのだ。私は、今日の夜中にこちらに着いたのだと説明をすると、「分かった、おやすみ」と言って去って行った。なんだかその言葉が妙に嬉しく、すぐにまた眠りについた。


 朝は6時に目が覚めた。周りには誰もいなく静かな朝だった。朝ごはんは昨日コンビニで購入した「パッとライス」と言って炊けているお米に冷たいレトルトカレーを食べた。食欲が満たされると、元気になる。しかし一番心配していた左ひざは、昨日の夜より幾分ましにはなったが痛みは消えなかった。

一階に下り自転車に荷物を積み込みストレッチをしているとおじいさんが近づいてきて話しかけてきた。どこから来た、どこに行くのかと自転車旅なら1人で全ての受け答えを出来るくらいのありきたりの会話をした。

おじいさんはそこからが長かった。高知には若いときに行ったことがある、という話から坂本龍馬の話しに飛躍し様々な話しをしてくれた。

ストレッチも十分終わり、会話のタイミングを見て切り上げ6時45分に出発。

今日のルートは24号線をただひたすら走るだけのルートである。地図を見る限りアップダウンも少なそうなので何とか京都までたどり着けるだろうと思った。

距離はだいたい160キロほど。地図は普段はツーリングマップルという、自転車・バイク旅にとっては必須と言っても過言ではない本を使用。

昨日走った距離を見てにやけたり、今日走る道を眺めたりと自転車旅中には本当にお世話になる。これは北海道から沖縄までで計9冊くらいに分かれており、その地区の詳細な道路地図が載っている。私は四国・中国版しかなく関西版は無かったのだが、この本にもおまけ程度に関西の地図も載っているのだ。家までの道路はさすがに載っていなかったが、ある程度のところまで載っていて少しお得な気分だ。

 和歌山市内は車が少ない早い時間に抜けたいと思っていた。混雑の時間とかち合わなかったのか、それともそもそも車が少ないのか、どこも車の混雑が無く市内を切り抜けられた。

ただ今日も時速は10キロほどである。7時半くらいになると近所の高校生くらいの子が自転車で高校に向かっていた。その子たちに追い抜かされながらは自転車をこぐのは少し悔しい。しかし坂道の上りではもうこぐことが出来ず歩いて登った。


時速10キロほどで走行を続けていると、紀ノ川が現れた。紀ノ川は川幅が30メートルくらいあろうか大きな川であった。その川沿いにサイクリングロードがあった。国道よりかは、少々距離は伸びるが、車や信号の心配のない、そちらを選びゆっくりと漕いだ。

川はゆったりと流れ、たまに大きな石があり、川の流れが変わり水量が1か所に集まるような場所があると、ああいうところに魚は集まるのだろうなという象像をする。

サイクリングロードは良かったが、風向きが進行方向と逆向きに吹いていた。

私が自転車に乗るときに一番嫌なのが逆風と雨と坂である。そんなのが嫌なら自転車旅を止めたらいいと思われるかもしれないが、それも出来ない。

今回の逆風は私を苦しめた。周りには建物がなく、もろに風を体で受けることになる。スピードは普段の半分くらいに落ちていた。ゆっくりゆっくりこぎ続けた。サイクリングロードは5キロほどあっただろうか。その5キロを1時間かけて走った。

国道に戻り狭い道を走る。国道に入ると建物が多く、逆風ということが全く感じなくなる。それは嬉しいことなのだが、少しの寂しさも入り混じる。

休憩の場所をバス乗り場に選び、ベンチに座り、先ほど購入したアップルパイをほおばった。リンゴのかすかな酸味と、リンゴと砂糖の甘みが美味しい。

しばらく休憩していると、片手に荷物を持ったおばちゃんが椅子に座り話しかけてきた。いつもの通り台本通りの言葉を交わす。その後おばちゃんは自分の今までの人生の一辺を話し始めてくれた。

母子家庭だったこと。昔スナックのママをやっていたこと。娘が一人いること。紀ノ川が台風で氾濫し家が浸水したこと。犬を8匹飼っていること。などを丁寧に聞かしてくれた。そしてバスがやってきた。私が「ではまた」というときょとんとしていたため、「バスに乗られるのですよね」と補足を付けると、おばちゃんは「乗らないよ、ここで休憩しているだけと」話した。私と一緒だった。ここにいるとおそらく半日は付き合わないといけないくらいの勢いだったため、「ぼちぼち行きます」と言っておばちゃんと別れた。

時間は2時頃を指していた。もう限界だった。これ以上漕げなかった。京都の友達に連絡を入れ、車で迎えに来てもらった。奈良県に入ったところだった。自転車旅で初めてのリタイヤだった。原因を考えるとちょうど両手に収まるほどの要因が出てきた。これから自転車で外国に行くと言うのに情けない終わり方をしてしまった。出発まで残り一か月。足を治し10個ほどの要因をクリアし出発の準備をしようと思う。

2018年4月21日土曜日

高知ー京都 自転車旅 1日目


 朝早く起き、自転車に載せて持って帰る荷物の準備と、最後の家の引き継ぎの作業を終えた。朝ごはんは米をしっかり食べ、朝八時に出発。

四年間住ましてもらった家に別れを言い、次にこの家に住む住居者に見送られ、高知県の家を後にした。

 家から国道までは7キロほどある。その道を走っていると今までお世話になった方が、車で通り「行ってらっしゃい」という言葉と共に、食べ物などを頂いた。国道に出るちょっと手前に、家の大家さんの家がある。そこで大家さんにお別れを告げ自転車旅が始まった。

 気温は18℃と温かいというより暑いくらい。夜須から安芸までは自転車にとって良い道とは言えないが、遍路道を兼ねた自転車道がある。細いが車のことを気にせず走れるのは、気持ちいが良いのと、国道より海側を走れるので、時たま現れるオーシャンビューに感嘆する道だ。自転車の調子は最高に良い。どこまでも走れそうな気分になっていく。

 この日は木曜日だったので、私が好きな番組、NHKラジオの「すっぴん」が放送されていた。今日のパーソナリティーは1週間の中でも一番好きな麒麟の川島さんだ。イヤホンで聞くのは危険なため、コンパクトラジオをフロントバックの上に置きラジオを鳴らしてみると綺麗に音源が聞けた。海沿いを、ラジオを聴きながら走るのは爽快な気分であった。

 今回の旅の予定は一拍二日で京都まで帰る予定だったため、あまり悠著なことは言っていられない。室戸までの60キロほどはその自転車道と国道を走り難なく行けた。高知県は本当に綺麗な川が沢山あるのだと改めて感じた。

 室戸まで行き一息ついていると、頭に不調の兆しがあった。それは少し無理をしたら、よくなるのだが頭がズキンズキンする。これは熱中症の症状の一つらしいが、今回は昼頃から訪れてしまった。この症状は寝たら治るのだが、今日はそういうわけにはいかない。
 水分不足が原因だった。室戸までほぼ休憩なしで走ってしまった。初めは調子がいいと勘違いし無理をしてしまっていたのだ。そこから水分休憩を頻繁に行ったが、状況は悪化こそはしなかったが、頭のズキンズキンは治らなかった。そのまま自転車を走らす。アップダウンがほぼ無く風も追い風で体調の割に距離は稼げた。

 よく「なめし」を教わりに来ていた東洋町を抜けそのあたりで、頭のズキンズキンが消えた。そしてその代りに左ひざの外側に痛みが走った。筋肉痛でもなく張ってる感じもない。腱を伸び縮を繰り返し痛めたのだと思う。あまりよくない気がした。しかし進まなくてはいけない。左ひざでペダルを漕ぐときは力を抜き右で漕ぐときに力をめいいっぱい入れ漕いだ。

徳島が少しづつ近づいてくる。


 日本の国道は分かりやすい青看板が頻繁に立っており、国道ならほぼ迷うことなく、さらに距離の指標もあるので本当にありがたい。もう60キロくらいで徳島市内と言うところでコンビニの本コーナーで地図を確認するとショートカットの道があった。

 おしっ、これなら10キロほど短く行けると意気込んで行くと、バイパスで歩行者と自転車は通行不可であった。この時点で時間は18時を指していた。徳島―和歌山の南海フェリーの時間は21時50分。残り3時間50分で60キロ。

 普通なら難しくはないが、この日は時速10キロのペースだったため、ぎりぎりであった。バイパスが通るくらいのため、旧国道はアップダウンが多く山で覆われていた。

 後ろからロードバイクの二人組がサーと抜かしていく。自転車の後ろには赤い点滅が付いていた。暗くなってきたなと感じる。

 小さな山を登ったり下りたりと繰り返しながら、この山道を早く抜けたいと気持ちが焦る。左足は相変わらず痛む。薄暗くなり視界が少し悪くなる。

 前方からライトの明かりが2つ坂を下ってくるのが見えた。行きに抜かしていった二人組だった。おそらくこの山道を抜け向こうの町まで到着して帰ってきたのだろう。そのことを想像すると、この山道はもう7合目くらいまで来ていると想像でき少し元気が出てきた。

 その山道にはたくさんの林道があり、もしテントを張るならこの林道を少し入った車一台旋回させられるような平地で張るのだろうなと持ってもいないテントの張り場所を想像する。

 数百メートル進んでは休みを繰り返す。


ようやく青看板が出てきて10キロほど進んだことが分かった。その青看板や、峠という文字が見えてくるとだいたいその山道の終わりを指す。そこから一気に下りに差し掛かった。山道を抜けた。


 辺りは真っ暗闇に包まれる少し手前だった。ホッと胸をなでおろした。実は、実用的なライトを持っていなかったのだ。夜に自転車で走ることは危険なことを承知していたため、夜は走らないと決めていたからだ。

 しかしながら午前中の熱中症と、左足の痛みのため、夜も走らないといけなくなった。ここに詰めの甘さが出ている。何とか峠を完全に暗くなる前に通過したから良かったものの、あと1時間遅く山道に入っていたら危険度の高い走行になっていただろう。


 辺りは暗くなったものの、車や民家、お店なども徐々に姿を現し、ライトがなくともどうにか走れる。しかし一番危険なのは交差点に入ったときの対向車が右折するときだ。暗いと自転車の認識が見えづらくなる。右折してくる車との接触に気を使い自転車をこいだ。

 あと30キロを2時間。時速15キロで走れば何とか間に合う。

 車と信号が多くなり一度止まりその走り出しが一番膝の傷みがひどい。あまり信号で止まることが無いように、前方の信号の色を確認しながらスピード調整を行う。

 徳島市内に入り、フェリー乗り場へと急ぐ。フェリー乗り場までの道を携帯電話の地図で確認しながら曲がる道を誤らないようにと慎重になる。

 フェリーに乗る前に湿布をどうしても買いたかったため、コンビニによるが何でも揃うコンビニでも湿布は置いていなかった。ドラッグストアを探しながら走ると反対車線に見えたが、信号を待つ時間を考えると、進行方向側にある、店を探したほうが早いと判断し行き過ぎる。時計を確認すると出発30分を切り、残り10キロになった。

 フェリー乗り場までの道へ国道から曲がる道が見えた。しかし湿布は買えていない。湿布は諦めペダルをこぐ。少し行くとまた分かれ道が出てきた。辺りは暗くフェリーまでの看板が無く、どちらに行けば良いか分からなくなった。


 携帯を出し調べるのも煩わしくなり、近くにいた背広を着た若い方に道を尋ねると丁寧に教えてくれた。残り2、6キロで15分を切っていた。


 今日一番のスピードでペダルをこぐ。その道に探していたドラッグストアの明かりが見え、時間は惜しかったが、明日も自転車をこがないといけないことを考えると、湿布を買っておきたかった。急いでお店に入る。

 しかし普段湿布を買うことはないため、どこに陳列されているのか象像が出来ない。店員さんを探すが、レジ打ちの人1人だけで、お客さんの対応をしていたため、自力で探すことに決める。

 こういったときは何か湿布に近い商品が目に入るとその近くかなと想像する。バンドエイドが目に入ったためその近くか、勝手に想像し舐めまわすように辺りを見るが、湿布は見当たらない。

 レジ打ちの店員さんがお客さんの接客が終わったのが見えたのでやはり店員さんに聞き、湿布を無事に購入した。

 また自転車にまたがりフェリー乗り場へ急ぐ。乗り場が見えた。一瞬懐かしい感情に浸ったがそんな余韻にひたることなく切符売り場へ直行。残5分のところで船に乗り込むことが出来た。

 自転車のままフェリーに乗れるのがとっても楽でありがたい。自転車に付けている4つのカバンのうち食べ物が入っているカバンを持ち客席へと上がって行った。

 客はまばらでゆっくりと横になれそうな場所を見つけ、荷物を置き左ひざに湿布を貼り眠りについた。時間は9時50分を回ったところだった。