2018年5月27日日曜日

出発前夜

今日は京都を出発し大阪に向かう。

釜山行きのフェリーは16日の14時だが、その日に京都を出発するのは不安があるため、前日入りしておく。泊まる場所はフェリー乗り場から6キロ離れた西成の玉出東というところに知り合いがおり、泊めてくれる予定になっている。

大阪への道のりは京都の横大路あたりから淀川の沿いを走るサイクリングロードがありそこを走る。途中から市内に向け南下していくという道のりにした。


準備を済ませ家から6つの黒いカバンを外に出す。1つはハンドルの前に2つは前輪の両サイドに、2つは後輪の両サイドに、最後の1つは後輪のキャリアの上に取り付けていく。今日は暑くこの作業だけでも汗が出てくる。


家族も外まで見送りに出てきてくれたが出発。荷物の重さに一瞬フラッと。

すぐに慣れるものでズンズン進んでいく。友達と途中で合流し淀川沿いを一緒に走ってくれた。
淀川沿いは車の通りもなく景色が綺麗で気持ちがいい。
不服があるとすればこのバイクと車止めのこのポールたち。


これらのポールたちには本当に苦しめられた。荷物の積んでいない自転車なら難なく通れるのだが荷物を積んでいると同じようには行かない。カバンが引っかかってしまうのだ。

これらをが5キロごとくらいにあるからたまらない。この厳重なポールたちに苦しめられながら進んでいく。

たまに工事をしており車の出入りがあるところではゲートを自転車の私のために開けてくれる心優しいおんちゃん方もいて助かる。




そのポール以外は気持ちよく淀川沿を走る抜けることができた。

サイクリングロードから離れ、一緒に来てくれた友人とも別れ大阪市内に入った。



大阪は高知からすると外国のような印象を覚えるほど風景が異なった。



道端で井戸端会議するおばちゃんの多いこと、パチンコ屋と思わせるような外見のスーパー玉手、またほっそい道に家がずらりと立ち並び自転車や電動車椅子が交通手段のおばちゃん方。



また韓国語の看板が多いなと思ったら、コリアンタウンと呼ばれる街まである。

そのような刺激的な街中をクネクネ進み友人宅の西成区に着いた。

ここは私の祖母が昔住んでいた地であった。15年ぶりくらいに訪れた。その頃の思い出はほとんど記憶からは無くなっているのに何となく懐かしいと思う感情は思い入れがあるからだけなのだろうか。

そして友人と会うと、近くの銭湯に連れて行ってもらった。

しかしそこは定休日だった。すると五分も歩かないうちにまた別の銭湯があった。残念ながらそこも定休日だった。

火曜日は銭湯の休みが多いのかもしれない。

残念に思いネットで近くの銭湯を検索するともう2軒見つかった。半径1キロ圏内に4軒もの銭湯がひしめき合うこの街が羨ましく思った。

浴場は6つもあり存分に楽しむことができた。

ここにも鏡があり、その鏡の下部に近所の床屋やスーパー、スナック、酒屋などの広告が貼られていた。また昔っからの常連さんのような人や長い年月使われてた番台が、ツヤツヤになって輝きを放っているのが、このお店の誇りとなっているようにも感じることのできる銭湯だった。

銭湯からあがり、ビールをご馳走してもらい、日本最後の晩御飯は日本料理の楽しめる居酒屋に連れて行ってもらった。

日本食とビールを頂いていると、これからおそらく粗食となる旅への意欲が少なからず減ったことは確かだった。

旅から帰ってからの日本食はさぞ美味しいものだろうなと想像しながら、眠りについた。





































2018年5月8日火曜日

旅の準備で思うこと

旅の準備がようやく終盤を迎えた。

あれもいる、これもいるといって次から次へと必要なものが増えてくる。そして次にあれもいるかな、やっぱり心細いな一応持っていっておこう、と必須ではないが、念のためというものが増え始める。


ただ旅の準備には本当にお金を使う。


今までのお金の使い方と根本的に異なってくるため、買い物をした後グッと疲れが出る。
今までのお金の使い方は、楽しいことをしたり、美味しいものを食べたり、大切な人にプレゼントしたりと、お金の即効性があった。


また罠の道具を買ったり、投網の道具を買ったり、ガソリン入れたりといったお金の使い方は、その先が確実までとはいかないが、ある程度「なにか」に変わることを想像できるようになっている。そのため数万の出費もそこまでお金を使う気疲れなんて感じたことが無かった。



しかし今回の旅の道具や、海外旅行保険などのお金の使い方は即効性もなく、これから旅に出るときに必要であろう道具であるため、これらの道具が、他の「なにか」に変わることはない。


その道具に今まで使ったこともないようなお金を支払うのである。例えば今まで雨の時に使用していたレインコートは3000円であった。それに防水スプレーを吹きかけ吹きかけ5年使用していた。


しかし今回の旅では、大雨の中、自転車で走らなければならないことを考えると、良いレインコートを持っておく必要があると思う。今回は18144円のレインコートを購入した。

今までの6倍の値段である。


このような物品が自転車用品も含め10点くらい重なれば、やはり心が疲れてくる。
このまま資金が底つくのではないかというような錯覚に陥ってくる。もっと貯めておくべきではなかったのか、というような弱音を吐きたくもなってしまう。


こんな風に買い物した後は気疲れが出てしまうのだが、結局旅の最中に助かるのは自分である。そして「良い物」はやっぱり長持ちする。今まで私は結構な安物買いの銭失いを続けてきた。たまにそのことに気づくこともあり、やっぱり良いものを買わないとな。と思うのだが、いざ商品の前になると、少し安いものでいいか、と妥協してしまう。



今回のレインコートを買う時には、隣に10000円弱のレインコートがあり、そちらに飛びつきそうになっていた。友人がセーブの声を発してくれたため思いとどまったが、1人だったならきっと10000円弱のレインコートを手にしていたと思う。ゴアテックスの機能があるかないかの違いだった。自転車で旅するときに着るなら間違いなくゴアテックス機能付きを選ぶのが普通であろう。それは頭の中では分かっているけど…という感じでいつも安いものを手に取ってきた。


これからは着る物であったり、持ち物といった、それ自身が「なにか」に変わることはないものでも、高くても「良い物」を買えるような買い物をしていきたい。








2018年5月7日月曜日

旅靴

自転車の旅ではKEENのシューズを使う。

オーストラリアを自転車で旅していた時に登山用の靴を履き生活していて大変な目にあった。

正確には私の周りの人間が大変な目にあったといった方が正しい。

自転車に乗っていると靴の中がすんごい蒸れる。

靴下は変えることができるが靴は頻繁に洗うことは出来ない。

その蒸れた靴を一日中履きっぱなし、次の日も次の日も蒸れる。
それが繰り返されると、どうしても臭いがきつくなってくる。

ただでさえ私の足の匂いは臭いそうだ。

以前高知県でスケートボードをしていたのだがその帰りに友達の車の中で靴を脱いでくつろいでいた。

季節は秋の終わりころだっただろうか、友達は車の窓を全開で車を走らす。

スケボーの後だったから汗をかいて、それが乾きとっても寒かったので、「なんで窓開けてるん?閉めてくれへん」と言うとその友達は「お前の足が臭いねん、空気が貯まると息もでけへんわ。窓閉める前にまず靴履いてから言え」と優しく諭され、笑いながら傷ついたこともある。

自転車旅の時には足関連の二つのエピソードがある。

まず一つ目だがメルボルンでのこと。10日間くらいまともにシャワーも浴びずにメルボルンというオーストラリアの南に位置する大きな街についた。

そこで一週間くらい滞在予定だったため、シェアハウスを探して日本人シェアハウスのところに転がり込んだ。

到着すると、そこの住人が集まって来てワイワイと今までのチャリ旅のこととか北のオーストラリアの情報などを交換していた。そこまでは良かったのだが、ある一人が本当に言いにくそうに、私に「足洗って来てくれない」と言った。私は自分の足の臭いに完全に慣れていたため、全く気づくことができなかった。

それを皮切りに、皆「私も思ってた。」や「なんの匂いなんだろうと思ってた」と言う意見が聞けて、これは本当に気をつけないといけないことだな。と自分に言い聞かせた。


もう一つのエピソードはメルボルンから1,000キロほど西に行った町アデレードでのこと。

その日はサイクリストの人の家に滞在させてもらったいた。その人の家で3日間滞在させてもらい、出発の日の朝にビニールに入った「何か」をもらった。

私はてっきりお昼ご飯だと思った。

昼頃まで自転車を走らせ昼メシ時に、朝いただいたビニールの袋を開けるとそこには三足の靴下が入っていた。

この後自転車旅をする時に靴を履いたことはない。


KEENと出会ってからはいっつもそればかり履くようになった。足先はゴムで覆われているし、足の甲も守られている。靴に近いサンダルなのだ。

ただこの靴に近いサンダルを持ってでも、たまに石鹸で洗うようにしている。

この靴にの側面にwater proofとの記載があるのだが、この意味が未だに分からない。

今回の旅でKEENは二足目になる。
5年前に購入した靴は定年劣化と陽当たりによる色落ち、靴底が剥がれてきてはボンドで貼り合わせを繰り返してきた。

まだ日常では履くことはできるが、旅に持っていくには不安が残る。

そして昨日二足目を購入。



5年前とほぼ同じモデル。

試しに履いてみると、驚いた。

足にピッタリ吸い付いてくる。今まで靴なんて履けたらいいと思っていたが、こんなに機能性が高いサンダルがあるのかと思い直した。


2018年5月4日金曜日

チャリ目線の京都・高知の道路事情


京都と高知では自転車目線での道路事情が大きく異なる。


私は高知で過ごした直近の7年間のうち自転車に頻繁に乗っていた年数は1年である。



京都では自転車に乗れるようになったのが6歳くらいだったと思うが、それを踏まえると京都を離れる18歳までの12年間ほとんど毎日のように自転車にまたがっていたような気がする。


まず高知では市内以外は自転車文化がほぼ存在しない。各家の人数分の車を持つというのが、常識とされているくらい自動車文化である。



そのため車屋さんはあちこちに見かける。道路沿いを走っていると、古い車から、新しい車まで千差万別の車が道路脇でこちらを眺めている。その対比として自転車屋を見つけるのも苦労する。


以前、高知~京都まで自転車で帰省しようとしたときに自転車の空気圧があまりなく、走っているうちに自転車屋があるだろうからそこで入れてもらおうと思っていたが、行けども行けども自転車屋が見当たらない。



痺れを切らして歩いている方に尋ねると旧国道の方に2件あるよ。と教えてもらいそちらに向かった。


しかし、こちらに行けども自転車屋が見当たらない。そこでまた歩いている方に尋ねると、2件ともお店を閉めたよ。と聞かされた。



そこは安芸市と言ってそこそこの街であると思っている場所にもかかわらずだ。
市なので中学生もいれば高校生もいる。

その子たちの自転車がパンクや不具合を起こしたら、どうするのだろうか。皆がパンク修理できるのだろうか。




結局自転車屋は見つからず、自動車屋で空気を入れてもらった。

高知県は土地が広いため移動するのはエンジン付きでないと苦労する。

その土地の広さが道路の広さにも影響している気がする。

高知県はかなりゆったりとした道路幅になっており自転車・バイクを走るのにもそんなにストレスなく走ることができる。市内は別だけど。



さて京都だが、自転車屋は石を投げればぶつかると言うほどではないが砂利を投げれば当たるくらいの自転車屋はあると思う。


市内にある一本道で注意して自転車屋を探して見ていると3キロ以内に5,6件の自転車屋を発見することが出来た。


どのお店も町の自転車屋という感じで、店こそは大きくないが、古くからお店をされているような、年季の入った店構えが特徴的だった。

外の歩行者道路に当たり前のように自転車が立ち並ぶ光景も少し面白い。



さらに京都府は平成30年の4月1日から自転車保険が義務化されたほどである。


あと京都にはレンタル自転車が多くある。私が見た多くは海外旅行者。特に西洋人が借りている場合が多そう。最近1週間くらい毎日のように京都駅と四条の方に出向いているのだが、そこで多く目にしたのだ。




京都市内は、自転車マナーに関してはそれほどよくないように感じた。細い道でも信号があるため、車が来てなければ行くというスタイルが根付いているような気もする。


実際私も高校時代、自転車通学をしていたがあまり信号を守っていた記憶がない。


京都は自転車文化だとは思うが、京都市内の特に四条には自転車で行くの避けた方がいい。

このゴールデンウェーク中にも3日間足を運んだが自転車置き場を見つけるのも苦労する。駐輪場はあることはあるのだが、行き慣れていないと見つけるのに途方に暮れる。

だいたい道が細く奥まっているところに駐輪場があるような気がする。



自転車が置けそうだなと思う場所はだいたい、駐輪禁止の立て看板がある。しかも歩道は人が多いため車道を走らなくてはいけない。



普段なら車道の方を選んで走るのだが、四条付近は、車は多いし、車の運転マナーも良いとは言えない。特にタクシー運転手はひどい人がちらほらいる。自転車に慣れているのだろう、かなり自転車のすれすれを走ってくる。


それに加えバスも多い。バスは少し走ると左によってバス停に止まる。

私がバスの後ろにいると、バスの右から抜くのだが、バスの出発のタイミングとぶつかると少し厄介だ。また後方から車が来ていると危険なため、バスの後ろでバスが発車するのを待つのが得策といえるだろう。


しかし四条のバス停はちょっと走るとすぐに止まるから、その度何度も止まり、発射するまで待つのが面倒になってくる。



こういった理由で四条に自転車で行くのは出来るだけ控えようと思う。
ただ家から四条までの道のりに、鴨川沿いを走る道があるのだけどその道は好きなんだよなぁ。

あと高知に言って驚いたことだが、高知の中学生や高校生の多くはシクロクロスと言ってロードバイクとマウンテンバイクの真ん中のような自転車によく乗っているのを見かけた。高知でママチャリに乗っている若者を見たことが無いと言っても過言ではないくらい、高知にはシクロクロスの文化が根付いているような気がする。



もしママチャリに乗っているような若者がいればきっと県外から来た大学生だろう。


京都の若者の多くはママチャリであった。高校性のときに、ロードバイクやシクロクロスで通っていた人は見たことが無い。ただ全黄色のマウンテンバイクで通っていた、一つ上の先輩がいたが、その人の名前さえ知らなかったが、いまだにその人のマウンテンバイク記憶があるくらい、珍しいことだった。


2018年5月3日木曜日

海外旅行保険のこと


今日、海外旅行保険に加入してきた。


保険は無事に戻ってくると、もったいなかったような気がする。しかし入っていないと、もしものことがあれば…ということでいつも外国に行くときや、車両保険などは少し厚めの契約で加入してきた。



去年は車屋さんで車庫から車をバックさせて出ようとしたとき、シャッターにぶつけてしまった。


これで私も初の保険適用か、と思いながら保険会社に連絡すると、保険を適用すると来年からの保険代が無事故の時と比べると一気に30,000万ほど上がってしまうという。


それなら保険使わない方がいいのかなと思い、シャッター会社に連絡して見積もりを取ってもらうと、28,000円であった。


そして結局、保険は適用せず、自腹で修理をしてもらった。何のための保険なんだろうという思いが無かった訳ではないが、自分の不注意さに腹が立つ方が強かったかな。


まあ今回の海外旅行保険は保険を適用したからと言って次回の値段が上がるわけではないため、存分に使ったらいいだろう。という意見を発言すると「保険は使わないことが一番いいのだ」と父から一喝される。



今回は「東京海上日動」で一年間の海外旅行保険に加入した。


決め手は一番安かったから。かといって保証が薄いと言うわけではないようである。
海外旅行保険の一年間以上を行っている保険会社は「東京海上日動」「損保ジャパン興亜」「AIG」であった。その中から安いのを選んだだけである。


他の人のブログを見ていると、自分で保証金額などを設定できるということが書いているブログもあったが、2,018年現在、窓口で加入のときは全ての保証金額が設定されているパックを選ぶしかないようである。ネットでの契約は分からない。


保険会社が同じでも保険代理店や会社の担当者によって言っていることが異なるのがあり困った。二年契約を交わして一年で帰国してた場合はその残りの保険期間の金額は戻ってくるのかという質問には完全に二分化された。車の契約なら一か月単位で返金されるからこの保険もそうなのかなと思っていたが、かなり強めにNOと言われたため、結局一年で契約し、もう一年という場合は国内にいる家族にお願いし延長をしてもらうという方法をとった。国外にいては延長出来ない仕組みである。



一年間の保険料23,0050円を支払った。


友達が言っていたが2015年以降急激に値段が高騰したらしい。

確かに私が2012年にオーストラリアにいた1年間の保険料は130,000くらいだったような気がする。

旅に出発する前に旅の必需品を買い、キャッシュカードの中の現金が少しづつ減ってくるのに、焦燥感と寂しさが少し入り混じる。

もっと貯めておけばよかったと、きっといくらあっても思うんじゃないかなと自分に言い聞かせ今夜も家族のいる屋根の下で眠る。

2018年5月2日水曜日

京の銭湯


京都にある銭湯に先日、父と一緒に行った。

近所の銭湯を調べると二件なら歩いていける距離にあった。二つのうち一つはその日定休日だったため、もう一つの銭湯に歩いて向かった。

近所の道は狭いのによく車が通るのでいちいち車のエンジン音がすると、後ろを振り返り確認するのが億劫だった。

裏道を何本か通りながら目的地の銭湯に到着した。

門構えは昭和感が漂いつつも西洋のレトロ感があった。暖簾が出ており営業しているのだと一目でわかるシステムは日本の文化なのだろう。

表には大塚製薬の自動販売機が置かれており、風呂上がりのマッチは最高だろうなと思いながら暖簾をくぐり、引き戸を開けた。「いらっしゃい」と、か細い声が左から聞こえた。今まで行った銭湯は右が男湯で左が女湯のところが多かった。

番台が男湯と女湯の真ん中にあり番台さんは1人で両方の管理が出来るのである。

声をかけてくれたのは、80歳は有に超え90歳になろうかというおばあちゃんが出迎えてくれた。

二人で860円であったが、私は父と一緒だったので財布は持っていなかった。父の財布には大きいお札の5000円しかなかった。父がそのお札を出すと、さっとおばあちゃんが計算し、4140円が返ってきた。

銭湯は備え付けのシャンプーや石鹸などは置かれていない。自分で家から持ってくるか、その場で購入するかだ。昔はよく銭湯に行っていた父はそのことは心得ており、私の分と自分の分のシャンプーを持ってきてくれていた。

着替え場は学校の教室一つ分くらいで、お馴染みの肩叩き機や重そうな扇風機、体重計などがあり、女湯と男湯がカーテン1枚で仕切られている場所もあった。

ロッカーは木枠で作られ、皆が触って角が取れ、艶やかな色をしたロッカーに荷物を預け、お風呂に入った。ドアを開けた瞬間、あの小学生のプールのときに匂った塩素の匂いがプンとした。

お風呂も教室一つ分くらいの広さがあり、その3分の1がお風呂で残りの3分の2が洗い場とゆったりとした作りになっていた。洗面台はシャワーが一つあり、取り外しは出来なく固定されている。


鏡が付いておりその下部には地元の酒屋や理髪店、タクシー会社などの宣伝広告が貼られている。頭からシャワーを浴び少しすると水量が一気に強くなった。


周りを見ると二人の先客が同時にシャワーを止めたのだ。その水量が一気に私のシャワーに集中したのだろう。このような何気ない質素感が最近の温泉施設にはなく、ほっこりした気分になる。


シャワーには温度調節はなく、温かくなったり、また少し冷たくなったりと一定はしなかった。体を洗い終わりお湯につかった。

お湯の種類は全部で6種類あり充実した数だ。ここは少し変わった種類の湯がありそれは人間洗濯機と呼ばれる湯であった。どのようなものかというとドラム缶の二回りくらいの大きさで丸い湯になっている。そこの湯が誰もいなくても回っているのである。


湯は6種類とも温度も異なりアトラクションが備え付けられており、自分の好きな湯を見つけることが出来た。

1時間くらい色々な湯につかっているとおじいちゃんと3歳くらいの女の子が入ってきた。女の子は走り回り、先にお湯に入っていたお客さんに笑顔を振りまきスケートリングに上がる女性を眺めているようだった。

その走り回る女の子の腕をおじいちゃんが捕まえ、体を洗ってあげていた。体を洗い終わると、女の子はお風呂用のおもちゃを持ってお風呂場に入り遊ぶ。私たちは十分に満足し風呂を出た。

体を拭いていると少し恰幅のいいおっちゃんが入ってきて、サッと服を脱いで体重計に乗り、「よしっあと3キロ」と言ってお湯に入りに行った。

私たちはお湯で温まった体を冷ましながら服をゆっくりと着替えていると、ふと目に留まった。先ほどのおっちゃんの荷物がロッカーに終われずに脱衣所のフロアに置きっぱなしであった。

おっちゃんがお湯に入って5分くらいたっていただろうか、そのことに全く気付かないほど、ゆったりとした空間である。

実際お風呂からあがり私が父にあの脱衣所の荷物見た?と聞いたが、父は何のこと、と言う風で気づいていなかったのだ。そして私は冷蔵庫の中からポカリスエットを出し、ちゃぶ台に120円を出し椅子に座り休憩していると、おじいちゃんと女の子が出てきた。

おじいちゃんが女湯の方に大きな声で「あがったよ~」と呼びかけると女湯からお母さんらしい声で女の子に向かって「こっちにおいでー」と言った。女の子は男湯と女湯が繫がれているカーテンをめくり女湯の方へ姿を消していった。銭湯は体の汗を流し疲れを癒しリラックスできる私のお気に入りの場所であり、何気ない日本の日常が垣間見れるのである。